人と関わる支援はどう変わる?(第17回_20200823@在日韓国基督教会館)

第17回 自治フォーラムおおさか 人と関わる支援はどう変わる?
~大阪市廃止で。制度と現場の視点から~
〇ゲスト
 奥田 知志 氏(認定NPO法人 抱樸 理事長)
 柳本 あきら 氏(元大阪市会議員 5期)
〇コーディネーター
 桜井 智恵子 氏(関西学院大学 人間福祉研究科 教授)

レポート:田岡 秀朋

当日の様子は、youtubeでも視聴いただけます。
https://youtu.be/cvw1TauCPoM?t=23

今回は「すっきゃねん大阪市」さんの企画にあいのりさせていただきました。ゲストはNPO法人 抱樸の理事長 奥田 知志さんと元大阪市会議員 柳本 あきらさん、コーディネーターは関西学院大学教授の桜井 智恵子さん。
活動の拠点が大阪ではない奥田さんの目に、今の大阪がどのように映るのか?またまた人と関わる支援の見通しはどうなるのか?などなど興味深い対談でした。
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■素朴な疑問
まずはじめに、桜井さんは都構想になじみのない奥田さんにも伝わるよう「住民投票で問われていること」を説明します。その視点は、財を生み出すであろう「成長戦略」と「くらしを守る」福祉や支援はどうなるという2つでした。「成長戦略」は府市が一体となりカジノや万博に取り組んできてはいるものの、WTCや関空などの大規模開発の先祖返りで、これまでの手法と大きく変わらないということ。「くらしを守る」では、困窮者が多く集まり、支える市民活動も活発な大阪市で、「支援」し続けるのか?行政の役割は?というものでした。
つづいて、柳本さんは都構想案の問題点を4つに絞って説明します。「①大阪市がなくなる」「②4特別区でニアイズベター実現は難しい」「③広域(府)・基礎自治体(特別区)の任務分担」「④分権時代に逆行する集権化」ということ。③の任務分担では長居公園を取り上げ、大阪市民の税金で設置・運営してきた公園をそのまま府の財産にすることは、市民の財産を府民全体に分割するようなものだから、丁寧な議論が必要など、わかりやすくポイントを伝えます。
これらの話を受けて、奥田さんの素朴な疑問として、府への集権化を目指す都構想とニアイズベターの両立が本当に相容れるものなのか?と問います。「トリの目」で大きなことを検討することも当然大切ではあるものの、支援の現場は「アリの目」が必要で、大きな枠組みになればなるほど、見過ごされる人・声が増えてしまうという経験を話されます。
また、活動拠点の福岡県には、福岡市と北九州市という2つの政令市があり、大阪府・大阪市に限らず、都道府県と政令市の緊張感はあるそうです。ただ、ニアイズベターで細やかな支援を進めるうえでは、基礎自治体である市の協力は不可欠で、財源など権限の大きい政令市がやりやすいと率直に語られます。そして、ニアイズベターを最重要課題にするのであれば、府に権限を集めるよりも、270万人都市を3つの政令市(90万人)にわけるような分権の強化が必要ではと提案をされます。
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■集権化とニアイズベターは相容れない
桜井さんと柳本さんは、奥田さんの問いかけを受け、都構想をもう少し説明します。
集権化の象徴は財源で、4特別区になると、大阪市民270万人のために使えていた6000億円の税収が2000億円になり、4000億円は府が大阪府民880万人のために使い道を決めること。保健所や児童相談所など4特別区に1つずつ設置することは見せかけのニアイズベターで、人員確保や役割分担などの問題が山積で現場が疲弊していること。ましてや、介護保険は一部事務組合、高齢者福祉は特別区が担当するというねじれを生み出し、地域事情に合わせたニアイズベターの支援が困難なこと。また、生活困窮者等の支援で重要な役割を担うあいりん対策が大阪府に移管され、地域と一体的な取り組みができるか疑問視されることなどなどを紹介します。
ホームレス支援全国ネットや生活困窮者自立支援ネットワークなどで全国の動きを知る奥田さんは、ニアイズベターの実現は都市間連携が主流で大阪の中央集権は時代に逆行しているのではないか。ニアイズベターの実現を目指したものであれば、誰が何のためにしたいことかわからない。とますます困惑します。
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■事実に基づく冷静な判断を
そして、市民一人一人が冷静な視点を持たず、なんとなく空気に流されて決めているとすれば、ワイマール憲法下の選挙(民意)からうまれたナチス同様、ポピュリズム的で末恐ろしいことで、ファクトフルネス(事実に基づいた)判断が大切とも指摘します。
例えば、国は「福祉のお金を削減ばかりしている」という声もありますが、コロナ禍では緊急貸付等で1兆円も支出しています。コロナ対策予算はリーマンショックの80倍。平時の生活困窮者自立支援事業の予算は年間430憶円に過ぎないし、生活保護基準を下げたなどの声もありますが、とどのつまり日本は「命は社会で責任を持とう」という国民的な意識があり、削減ばかりをしているわけではない。
ただ、お金だけで人は救われるのか?聖書的に言えば「パンとコトバ」が表すとおり、人はパンだけでは生きられない。パンはお金のことで、コトバはつながりのことと捉えれば、“コトバ”を紡ぎ関係性をつくる支援は、課題解決に時間がかかるかもしれないが、価値は高いはず。実際にイギリスでは、「孤独」の国家損失は年間4.9兆円と試算され、孤独担当大臣を設置した。孤独を個人の問題とするのではなく、事実にもとづき社会の問題として解決を図ろうと、給付(パン・金)という対処療法だけでなく、つながり(コトバ)という未然予防策に取り組む姿勢は参考になるだろう。と冷静な視点を持つことの大切さを説きます。
ここで桜井さんとプチバトルがあります。桜井さんは奥田さんに対して、政府は「コトバ」の支援を制度化し、「パン」の財源を縮小しているから要注意とつっこみます。
そして、ノンフィクション作家 上野栄信さんが『地の底の笑い話』【岩波新書 1967年5月初版】の扉に掲げた鹿児島のことわざを引用し、「大きな話は、忘れ去られそうな小さなところから考える」視点をもつことの大切さを伝えました。

■まとめとして
柳本さんはまとめとして、「①東京のまねごとをするのではなく、これまで培ってきた大阪スピリットともいえるいまの価値を再評価すること」「②中身よりイメージ先行の都構想は、都がなくても大阪市・大阪府の運用で実現できること」「③コロナ禍で先行きが読めないなかでは、大きな予算をかけてまで実施する必要性はないこと」「④市民のみなさんに冷静な判断をできるように事実をつたえていくこと」の大切さを訴えました。
桜井さんは、レ・ミゼラブルの「民衆の歌」にある「奴隷にならない」の箇所を紹介します。コロナ禍、フランスにおける労働者の「撤退権」(賃金を減額されないで休業する)は勝ち取ってきたものであり、それが奴隷にならないということでもあると。また、アジアや発展途上国から収奪し資本階級と労働者階級が協調し安定してきた戦後福祉国家、それが解体されるということが新自由主義の都構想であるという説明をして、フォーラムを締め括りました。
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